旅風呂~たびブロ

旅の思い出などを綴ります

上海 2

鑑真号の船室は

貴賓室から二等室まで

分かれていましたが、

 

貧乏旅行の私の部屋は

一番下のクラスである

二等室(和室)。

 

カーペットが敷いてあるだけの

8人用のいわゆる”雑魚寝部屋”でした。

 

部屋に着いた時には

先に何人か入室していました。

 

「こんにちは、はじめまして」

と挨拶し、その部屋に入って下に座ります。

 

8人が揃ってみると

日本人は私を含めて3人、

あとは中国人が5人でした。

 

日本人のお二人は中国旅行歴が長いらしく、

中国人の方は片言の日本語を話しました。

 

 

私が初めての中国で、

海外旅行も初めてだと伝えると、

 

心配してくれたのか、中国旅行について

様々なことを教えてくれました。

 

 

中国人からは、挨拶や買い物の仕方など

中国語レッスンを受けました。

 

 その中で、役に立った言葉は

 

「多少銭(トゥーシャオチェン?)」

「いくらですか?」

 と、

 「厠所在那里?(ツェーソーツァイナーリ?)」

「トイレはどこですか?」

の二つ。

 

このフレーズは、

中国を旅している最中に

何度も使いました。

 

 

船旅は3泊4日続きます。

部屋の中では皆で話しをして過ごし、

日中は船の甲板で多くの時間を過ごしました。

 

天気は非常に良く、海も凪の状態でした。

 

甲板でデッキチェアーに寝そべり

缶ジュースを片手に

果てしなく続く大海原を

ただただ眺めていました。

 

鏡のような海面にあるのは

船のスクリューによって描かれた

白い波の軌跡だけでした。

 

 

船で3度の夜を過ごすと、

いよいよ上海に到着。

 

4日目の朝、

甲板にあがると

辺りはうっすらとした霧の中。

 

船が進んでいる方向を見ていると、

その霧の中からぼんやりと建物の

形が見えてきました。

 

上海、外灘の景色、

 

歴史を感じる洋風の建物が

外灘沿いに立ち並んでいるのが

見えてきます。

 

 

「ようやく着いたか」と呟くと、

 横にいた同室の中国人の方が、

「到了!(タオラ)」と。

 

「着いた」という意味の中国語のようです。

 

 

部屋に帰り、荷物をまとめているうちに

外灘の北側にある上海の港に船が着岸。

 

同室だった方々にお礼を言い、

別れを告げ、下船の手続きをし、

タラップを降りました。

 

 

大地への第一歩。

私にとって初めての異国の地、

中国へ上陸です。

 

 

朝10時半頃、薄曇りの天気の中、

初秋のひんやりとした

空気が漂っていました。

 

 

歩き始めると、旧市街の雰囲気の街並み。

道沿いにレンガ造りの建物が並び、

歩道には古い形の電灯が立っています。

  

私は異国の地の緊張感よりも、

未知の体験に対するワクワク感が

強く湧き上がっていたように覚えています。

 

 

船の中で予約した

宿を目指して歩き始めました。

 

お昼も近く、

最初の体験ということで

街の食堂に入ってみました。

 

道ばたにある、地元の人が使う

日本の普通の”定食屋さん”といった

感じのご飯やさんです。

 

メニュー(菜単)を見ながら

身振り手振りでお昼ご飯が

食べたいことを店員さんに伝えます。

 

お店の方にとって、

日本人の若い男が一人で来店する光景、

珍しいことなんでしょう。

 

若い女性の店員さんが3~4人

私のテーブルに寄ってきて

口々に私に何かを言っています。

 

意味は分りませんが、

何とか話しているうちに注文が

完了したようです。

 

しばらくして、野菜炒め、スープと

白いご飯が運ばれてきました。

 

野菜炒めもスープも

まあまあ美味しかったけど、

ご飯が美味しくありませんでした。

 

冷たいし固いし。

日本のふっくら、

やわらかご飯とは程遠い感じ。

 

後から聞いたとこによると、

中国の白いご飯は固く冷たい

感じで出てくるらしいです。

 

しょうが無いので、

温かいスープをそのご飯にかけて

何とか流し込み食事を終えました。

 

これが中国大陸で最初に食べた

食事でした。

 

 

食事後、「多少銭?」と聞いて

お会計を支払い、

「厠所在那里?」と聞いて

トイレを済ませました。

 

トイレは店の裏にある

あまり綺麗とは言えない

簡易トイレでした。

 

  

船の中でもらった地図を頼りに

今晩の宿「維力飯店」を目指します。

 

この宿は船の中で紹介をしており、

宿を予約していなかった私は

これ幸いとばかりに、

最初の晩の予約を済ませました。

 

 

宿は港から歩いて30分くらいの

場所にあったでしょうか。

 

宿に到着し、

船の中で受け取った書類をフロントで見せ、

パスポートを渡し、私は部屋に案内されました。

 

部屋はいわゆる”ドミトリー”部屋

案内されたのは4人の相部屋でした。

 

 

他の3人は既に部屋にいました。

「ニーハオ」と挨拶すると

「ニーハオ」と。

 

その後、英語で話されたので、

私もつたない英語で会話を続けました。

 

聞くと三人は香港からの旅行者とのこと。

 

しばらく会話をし、

その後、一人で街を散策にでかけ、

夜になりベッドに入りました。

 

その日は沢山の経験があったので

疲れていたのでしょう。

すぐに眠りにつきましたが、

 

眠りに落ちる一瞬前の

部屋の景色が頭に残っています。

 

自分ひとりと、

他の3つのベッドには

初めて会う香港の人達。

 

見慣れない光景に、少し”怖さ”を感じた後、

パッと眠りに落ちたことを覚えています。

 

 

翌朝、起床後、

なんとなくその部屋は落ち着かず、

部屋の方に別れを告げ、

チェックアウトしました。

 

大きな登山ザックを担いだ私は

さてどうしようかと。

 

その時に思い出したのが

船で同室だった二人の日本人が

泊まっている宿の名前です。

 

確か、「浦江飯店(プージャンハンテン)」

と言ってたなと。

 

持参していたガイドブック

地球の歩き方 中国版」を開くと

「浦江飯店」が掲載されていました。

 

ここからそんなに遠い場所では

なさそうです。

 

とりあえず向かうかと、

登山バックを担ぎ、歩き始め、

程なく到着しました。

 

フロントで聞くと、

ドミトリー部屋のベッドが

空いているとのこと。

 

他に行くあてもないのでお願いし、

部屋に案内されました。

 

今回は30人くらいの沢山の

ベッドが並んでいる大きな部屋。

 

私のベッドに案内され、

隣のベットにはフランスから来た旅行者。

一人で旅をしているようです。

 

片言の英語で挨拶し、話をし

よろしくと伝えました。

 

この宿にはそうしたドミトリー部屋が

たくさんあります。

 

船で同室だった日本人を探そうと

日本人が泊まっている部屋を

フロントで尋ね、

教えてもらった部屋で、

二人と再会できました。

 

「この宿に良く来られましたね。」

 

「ええ、前の宿は何となく居心地悪くて

 出てきちゃいました。

 ここの名前を思い出したので、

 地球の歩き方見ながら来ちゃいました。」

 

「そうですか。

 明日、蘇州に行くので一緒に行きますか?」

 

「はい、どうぞよろしくお願いします。」

 

ということで、私のあてのない旅も

そうしてつながって行くことになります。

 

 

【続く】